自粛の神様
今日は一日中部屋の窓を全開にして過ごしていた。
外から聞こえてくる朝の音と、夜の音は全く異なる。
明け方は鳥のさえずり、新聞配達のバイクの音、始発が通り過ぎる音。夜中は、人っ気を感じさせない静かな風、外灯の光が醸し出す無音、終電が通り過ぎる音。
電車の音も、朝と夜では少し違うと感じる。何が違うのだろう。
でも、電車の音はどこか心を安心させてくれるのだ。
ほぼ毎日電車に揺られ、新宿で乗り換える。朝から晩まで活動し、夜は一刻も早く眠りにつきたくてベットに飛び込んでいた。ケータイのカレンダーにはぎっしりと予定が詰め込まれていた。半日空いているだけで喜んでいたが、多忙な日々も大好きだった。
久々に以前の生活を振り返った。
今、こんなにも考える時間がなかったら、以前の生活を細かく分析して反省することは無かっただろう。
当たり前のようにこなしていた日々のイベントには、一体どのような価値があり自分や他人にどのような利益をもたらしていたのか。
難しいことを考えてみる。
そして最終的には、
「何故生きているのか」
この極論に対面することになる。
これは世界中で通用する疑問である。様々な国家、環境、地位、年齢層の中で生息する人間にとって、誰もが抱える疑問なのだ。
私にははっきりとした答えがわからない。わかる人の方が少ないだろう。
これからは、その答えを探すために生きていこう。
「生きていてよかった」と思える瞬間を沢山味わおう。
生きる理由なんて、死ぬ直前にわかればいいと思っている。
たっぷりと考える時間が与えられると、自ずと反省をし生きる目的を見出してくれる。
これは、ホームステイというホルモンによって活性化されるモチベーションである。
今夜の夜食はこれ。
フレンチトーストにバニラアイスを乗せて、オリーブオイルを垂らす。少量の塩をかけて、出来上がり。
銀色にひかるフォークとナイフを並べて、着席。照明を薄暗くして、お気に入りのアロマキャンドルにライターを近づける。
この空間の演出。
普段であれば絶対にやらない、こんなに手間がかかること。笑
普段。普段とは何を指すのだろう
別に今日も普段か。いつもより特別な夜にしたかったんだよね
あれこれ考えてしまう、早く食べよう
でも、繊細に揺れる炎は、思想を膨らませてくれる
ゆっくり、ふか〜く考えさせてくれる夜にしてくれる
時間と思想の神様を味方にすると、いいことがありそうだ。